望むという定義を改めて深く学んだ

いつもの毎日聖書読書で、こういう面白くて意味深いことを読んだ。

わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。 25もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。「ローマ人への手紙8章24-25節」

確かに、すでに見えてることは普通望んだりしないだろうしね。それから、それまでを待つのも望む過程うちの一つだな。

新居のリフォームは三月下旬からはじめ、今となってほぼ半年間なんだけど、まだ未完成なんだ。

最初の完成予定は3ヶ月はずだったけど、いろいろとあってずっと遅れて、正直って、本当にもうくじけそうになってた。
最近、ようやく家具の設置が始まっていて、その光景をみてたら、さすがに感動する。上記の聖書の言葉を改めて深く実感してる。

その望む定義は宗教をおいても普通に通じると思うね。

みんな、今なにを望んでるでしょう、まだ見えてないのを望むこと、もうすこし改めて待ち望んでみましょうか^^;

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